指導者プロフィール

コーチ・代表  山内隆介 

論理的な思考からチームやその選手にあったメニューを作り出し、多くの選手が個人のスキルを向上させ、チームとしての結束を築き上げています。

JBA中央部での研修などで最新の知識や、指導方法を常に学習し選手に最大の還元ができるよう日々努めております。

山口県で活動中で、指導者養成にも携わり、選手だけでなく指導者の育成にも力を入れております。

全国最年少でのジュニアエキスパート取得(ジュニア期の専門知識が必要な資格)、コーチディベロッパー(コーチの指導者)の取得をしております。

指導者になるまでのストーリー

私は高校3年生の3学期から地元の中学で指導をし始めたのが、指導者になるきっかけでした。私が中学生の時から地元の中学では指導者もいない、ミニバス経験者もいないのでバスケの知識が身についたりバスケの指導をを受けたりするには環境が整ってませんでした。

中学では万年地区大会一回戦負け、でも部活ではなんとなく走らされる毎日で「きついのに勝てない」状況が続いてました。バスケ自体面白いというより、精神を鍛えるためだけにやっていたような感じでした。

転機は中学三年生の時に夏に隣の市の部活の見学に行った時に、その高校は全国大会にも出場経験もある県内でもいわゆる強豪校でどんな練習をしているのか気になっていました。見学した時にその当時の顧問の先生の言葉が頭から離れなくなりました。その言葉は「うちは進学校だから、量より質で練習している」でした。

その時衝撃を受けました。中学の部活ではきつい、しんどい、長いのに勝てない。とても長い時間やっているわけではないのに、この高校は結果が出ている。何が違うんだろう。気になる。そのようなことを感じて、高校に進学しました。

高校に進学して訳がわかりました。確かに日常の練習はそこまで長いわけでもなくずっときついわけでもなかったですが、頭をとても使いました。指導がとてもよく、どんどん日に日に上手になっていることを感じました。高校三年生では惜しくも県内では2位となり、インターハイ、ウィンターカップには出場できませんでしたが、心の底からその当時の高校で指導を受けれたこと、チームメイトに恵まれたことに感謝しました。

その経験をどうしても地元の選手に還元したいという思いから、地元の中学校の外部指導者になりました。

中学の指導とU12の指導

中学の指導をして一年が経ち、未経験者の集団で市内でも上位チームとなり、県大会にも出場して、やはり指導で変わるのだと確信しました。それ以上に選手が生き生きと練習を楽しみながら、自分自身を追い込んで目標に向かっていく姿にやりがいを感じ、指導者になろうと、継続して活動を続けようとしました。

ある時、縁があってミニバス(U12)の手伝いをしないかと言われ、隣町のミニバスのチームのアシスタントコーチとして活動し始めました。その年は、選手も力もあり、指導者の方がしっかりと指導をされていたので、県内2位の成績を残し中国大会まで駒を進めていました。その後ミニバスのヘッドコーチに就任したことが第二の転機となりました。

ミニバスのヘッドコーチとなって、ミニバスの体質のおかしさをとても感じました。とても良い全国でも良い成績を残しているチームの監督が素晴らしいという話を聞き拝見したところ、U12の選手に対して「ばか、あほ」等の暴言や、選手に対して激しく物を伝えたりしていました。その人曰く選手に逃げ道をなくし、精神的に鍛えているとのことでした。

私のその当時の指導スタイルは選手を鼓舞し、自分自身で考え、動くようにすることを促す物でした。他にもそのようなチームがかなりの数を見られて、本当にこれで良いのだろうか、U12の時点で結果を残せば許されるのだろうか、と疑問を抱き、自分自身の中で色々な葛藤が生まれました。

最終的に行き着いた考えは、U12の時点だけで結果を残すことが正しいことではないということでした。小学生のうちから精神を痛めつけて無理やり勝負に挑ませるような指導は私の哲学とは違うと。選手の長いキャリアのうち早い段階で勝負をかけるのは違うと。まるで42.195k mのマラソンで最初の5kmを無理やり全力で走って一番になって誇っているような指導を目指しているわけではないと。では、どうやれば42.195k mのマラソンを走り切り、なおかつ競技力も高められるか。

そういう思いから、20歳くらいから「バスケの指導を学校のような形で指導できないだろうか」と考え始めました。U10、U12、U15等で年齢で指導するべき内容をわけ、カリキュラムを作り、指導の仕方の教育を受けたコーチを各カテゴリーごとに配備する。それができれば、競技力をつけつつ、勝負にもこだわれる環境が作れると思いました。

世界レベルの環境に触れた日

それから二年ミニバスの指導をしたのち、体調を崩してしまいミニバスのコーチを辞めることとなりました。そこから空いた時間で指導の勉強や、組織経営の勉強をしたり、バスケの上位資格等を取得したりしました。

勉強し始めて二年が経った頃、ジュニアエキスパートというJBA(日本バスケットボール協会)が出している資格をとりに行きました。

そこでは、世界の育成がどんなものなのか触れることができました。世界の質の高い育成は、各年代でどんなことを指導するかのカリキュラムがあり、年代のコーチも教育を受けた人しかできないという私が思い描いていた物でした。

その指導を受けた選手はNBAや世界の高いレベルのリーグで活躍していることも知りました。私は自分自身の考えが間違っていなかったのだと感じ、この環境を日本にも作りたいと思いました。

それに、日本協会の方々やそこの研修に来ていた方々の本気で日本の指導を世界レベルに押し上げようという思いが見れて、私自身も同じく「日本の指導レベルを上げる」ことに深く共感し行動をしなければと感じました。

そこから、会社とクラブを立ち上げ、今でも世界基準の環境をこの地方でも受けれるように日々努力をしています。

いつか世界に誇れる指導環境にすることと、選手たちや保護者の方、関わってくださる方々にとって最高の学舎になることを目指し日々活動させていただきます。

資格等

JBA指導者ライセンスA級 Jr.エキスパート コーチディベロッパー

経歴

山口県立柳井高校でプレー後、母校の通津中の外部指導者を経て、ミニバスの指導者になる。

その後、当法人の前身となるSQバスケスクールを開校後、法人化する。

山口県のU12の県DC事業に携わり、今では指導者の養成をしながら日本のバスケを世界基準にするために日々研鑽中。

指導実績

2021年度:山口県U12DC AC

2022年度:山口県U12県DC AC

2023年度:山口県リフレッシュ講習会講師 山口県U12県DC AC

指導理念

選手たちが単なる技術的なスキルだけでなく、キャラクターとリーダーシップの重要性も理解し、発展させることを重視しています。人間性の成長をとても大事にしており、選手たちは単なるスポーツの技術者にとどまらず、生涯にわたって成長し続けることができます。

得意分野

1on1、パス、オフェンスのポジショニング、ペイント内のシュートフィニッシュバリエーション、ディフェンス